舎主の経歴&会社時代の文章&etc.
●会社時代の文章・1 ●会社時代の文章・2

●我が青春の小畑学校 ●第8回FNSドキュメンタリー大賞 ●週刊アキタ「サイドミラー」

●雑誌「現代農業」に掲載された舎主の記事

現場からの4半世紀
秋田テレビ報道制作局制作部長 根田 昌治
 各局の番組制作能力が高まりつつある今、地方民放局にとってただキー局の編成に従い情報を発信するということは物足りなくもある。若手育成を目指して深夜枠を開放し、突飛な企画で視聴者に”何かをやるAKT”のイメージを植え付けた秋田テレビ。きたるべき衛星時代に向け地方民放局は何をどう発信していくべきか、自らの6年半の編成経験を踏まえて日々自社制作に意欲を燃やす根田氏の現場からの報告である。


酒場にて
 「おい、マジに25周年考えなきゃマズイぞ」
 「そうですね、ところでドキュメンタリー大賞は何を出すんですか」
 「報道が中国残留兵でやるみたいだ」
 「ネタはいいけれど料理の仕方ですね」
 「あの娘、森高千里に似てないか」
 「脚線美とアゴの病気の関係ー」
 「ところで、次ぎのめざましテレビはどこの温泉にする」
 「場所はいいんですけれど、女史アナの入浴問題はどうにかなりませんか」
 赤いブルゾンに身を包み、大竹まこと似のヒゲをつけたディレクターと、ニッポン放送がオルグした「中年探偵団」の入会規則?(注)のみ欠如した私との会話である。
 場所は会社近くの酒場で、熱燗の30代最後の大竹まこととヒヤ専門の40代最後の中年探偵は、やがて何時ものように”ヒト、モノ、カネ”のローカルテレビ局番組制作の壁に突き当たり、2次会のスナックへと場所を移動するのであった。

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  ニュースの時代
 フジテレビネットワーク局FNS推進部の調べによると、今年開局25周年を迎える系列局は、秋田テレビを含め長野放送、富山テレビ、石川テレビ、岡山放送、愛媛放送、サガテレビ、テレビ熊本、テレビ長崎、鹿児島テレビの10局にのぼる。いずれも田中角栄郵政大臣によって与えられた第2次UHF局免許によるものだ。
 秋田テレビが開局した昭和44年、私は報道部記者としてテレビ生活のスタートを切った。開局当初のドタバタ騒ぎから落ち着きを取り戻した当社にとって大きな転機となったのが昭和46年である。
 この年の4月、月〜金の午前7時15分から8時10分の枠で「ワイドAKT」が、10月からには月〜金午前11時55分の枠で「こんにちは!奥さまスタジオです」の2本のワイドベルト番組が始まったのである。いずれも地域に密着した生活情報を”ウリ”にしたものだが、この時期民放キー局はカラー化のための巨額の設備投資や制作費の高騰、高度経済成長の終焉に伴う広告費の伸び悩みなどで制作部門の切り離しに踏み切っていた。
 こうした環境の中で、開局1年半余の経営不安定なローカル局のワイド編成は、もちろん同時期開局の他局では無く、極めて冒険主義的な試みであった。当然、「ヒト、カネ、モノ」への投資が進み、これが経営の悪化を誘発し、この大胆で早すぎた試みは挫折せざるを得ず、昭和48年の経営陣交代で終止符をうった。
 皮肉なことに、この時期昭和40年代後半からCMは「モウレツからビューティフルへ」が流行語となり、ゆとりある生活や個性的生き方を大事にするトレンドが支配的となる。また「地方の時代」が叫ばれ始め、青森放送の「RABニュースレーダー」や四国放送の「おはようとくしま」等地域密着型のローカルワイドニュース、情報番組が注目されている。
さらに昭和51年にはロッキード事件が発生し、同事件が端緒となってテレビ報道のジャーナリズム論議が活発化し、ローカルニュースのワイド化もJNN系を中心に目立ってきた。TBSが「テレポートTBS」をスタートさせたのはこの前年の昭和50年である。
 この時期、秋田テレビでは新経営体制で企業努力を進め、昭和50年度決算で開局以来の累積赤字を解消し、昭和53年3月には社屋の増築も完了している。同時に私の所属する報道部も、先発局ABS秋田放送(日本テレビ系)のワイドニュース化に合わせ、夕方6時から30分ニュースの準備に入った。
 当時のフジテレビのメインニュースは夕方6時半からの「FNNニュース6:30」で、私達のローカルニュースは6時15分から10分枠の「ニュース6:15秋田」という編成だった。これを6時から25分に拡大し、下に5分の天気予報というのが私達のワイド案だったから大変である。しかし当時の報道部員は皆若く、過酷な労働条件になることを承知してこのワイド化にゴーサインを出した。
 こうして昭和53年4月、タイトル「テレポート秋田」は船出した。先発局ABSも「ワイドレーダーあきた」で同様のスタートを切り、秋田でのワイドニュース戦争が始まった。系列の反響は大きく、視察する局が相次いだが泊まり明け返上勤務が日常化している私達の労働に尻込みする局が多かった。(当時のFNNでは宿泊勤務も珍しかった)
 しかしこうした動きにフジテレビはすぐ反応し、夕方6時から「FNNニュース6:00」、同6時半からは関東ローカル「同6:30」をスタートさせ、ローカル局は6時半から自社ニュース枠というスタイルが確立される。当時の「6:00」の編集長は松本寛(現テレビ新広島取締役)、池本薫(現産経新聞論説委員長)の両氏、「6:30」は森彬大氏(現仙台放送常務)と記憶している。また「6:00」に出したネタを「加工して送ってくれ」というズウズウしい要請をしてきたのが「6:30」の浪久圭司デスク(現フジテレビ人事局長)であった。
 この間私たちにとって嬉しかったのは昭和54年10月に実施した視聴率調査で初の3冠王を獲得したことであった。実に開局10年目の待望の栄冠である。そしてこの頃から「テレポート秋田」の視聴率も上昇を続け、30%前後をキープする看板番組に成長したのである。
 しかしこのローカルニュース枠の生命は長くなかった。編成部長からニュースセンター室長に転じた中出傳二郎氏(現フジテレビ常務)の動きが激しくなった。それはフジのニュースを1時間枠とし、20分程度のローカル枠をセットするサンドイッチスタイルである。
「根ちゃんたのむよ」という中出氏のささやき声にキー局の横暴と抵抗していた秋田テレビを含むローカル局は次々に陥落し、現在の「スーパータイム」が完成した。
 私のニュース生活で忘れられないのは、昭和58年5月26日に秋田県沖で発生した日本海中部地震である。マグニチュード7,7、本県の死者83人を数えたこの地震は、たまたま当社のカメラ4台が揺れる映像を撮影、上空からも津波の襲来を捉える”スクープ”となり世界にも放送された。
 幸運なことに私はデスクだったため、妻と二人の息子の恐怖を知らないまま(家にも電話できなかった)3日間会社にカン詰め状態となり、外出できたのはフジテレビの応援取材で駆けつけてくれた大林宏記者(現報道センター社会部長)らと食事の時であった。
 また、昭和61年7月7日に実施された初の「衆参ダブル選挙」では、無謀にも衆参の当選者全員を本社スタジオに集める生放送特番に挑戦し、どうにか放送にこぎつけたのも冷や汗続きの報道時代の良き思い出となっている。

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報道から編成へ
 それは突然やってきた。フジテレビを含む理事社とブロック代表の報道部長で構成する秋田での会議が終了し、次ぎの開催局山陰中央テレビ訪問を楽しみにしつつ、本県と中国甘粛省、秋田市と蘭州市との友好提携5周年を記念した「地方行政交流団」への同行取材の構想を練っていた時のことである。
 「9月1日付で東京支社業務部長に決まった」との異動内示が上司から告げられた。
 「判りましたが、中国同行取材はどうなりましたか?」
 「行って番組のメドをつけてから東京ということだな」
 中国訪問のスケジュールは9月29日から10月12日迄と確定していたので聞いたものだが、何ともアバウトな社の方針に私は感動すら感じて承諾した。
 かくして私は18年間に渡るニュース生活に別れを告げ、中国取材をこなした後、初めての仕事に就いた。東京の仕事は編成を中心に多岐にわたった。驚いたことにフジテレビの場合、報道時代にお付き合い頂いた方々が社内各セクションにおり、仕事上随分助けられた。ちなみに重村一編成局長代行、広瀬英明調査部長も報道出身である。
 また、この時期、昭和天皇の入院、手術という゛事件”もあり、いわゆるX絡みで報道センターに足を運ぶケースも増えていた。激しい報道合戦の中、澤雄二氏(現編集長)には何度か貴重な情報を頂き、その都度空振りに終わる嬉しい体験もあった。こうした情勢のせいか、各局の東京編成担当にかってのニュース仲間が次々と異動してきて旧交を温めることができた。
 東京は約4年半の勤務であったが、この間昭和は平成に移り、湾岸戦争、東西ドイツの統合、ソ連崩壊、目まぐるしく変る日本の総理と、内外共に激動し”特番”が飛び交う季節であった。こうした中フジテレビネットワーク局では将来を展望する形でFNS系列の結束強化策に取り組んでいた。
 ある日、ネットワーク部の阿部和夫氏(現デスク担当部長)から、系列東京支社サイドでの具体案について相談を受け、私は日頃から関心を寄せていた”ニューメディア”を提案した。これは「FNSニューメディア勉強会」という名称で直ちに実行され、毎月1回ホテルを会場に早朝勉強会の開催に繋がった。

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第3局の開局
 平成4年2月、社の異動で私は本社編成部の勤務となった。東京での送別会で盃を交わしていた重村編成局次長(当時)が、私に向かっていみじくも語ったように”一番つまらない異動”である。それは仕事の内容が東京から本社に移るだけという意味で正しいのであったが、当時秋田では「秋田朝日放送」(AAB)というANB系列の第3局が、また民放連全国大会がそれぞれ10月に開局、開催を控えておりそれなりの準備も必要であった。
 ANBとは昭和56年4月から同年62年3月迄の期間クロスネットの関係があり、ANNには多少の人脈もあったのだが、秋田の新局には当時報道局長だった高瀬有宏氏が副社長に、ANN事務局長の藤田文知氏が報道制作局長に就任しており、旧知の間柄であった。この陣容は報道、制作重視であり、事実設備面ではAKTをしのぐ多額の投資がされていた。
 前述した「FNSニューメディア勉強会」の結論というわけではないが、衛星時代を展望したローカル局の生き残り作戦としては、地域密着型のローカル制作番組の拡充、強化がポイントとなる。私としては第3局の開局を目前にし、他局との差別化、イメージアップ向上のためにもこうした面での編成方針を打ち出したかった。
 この時期秋田テレビの生活情報番組は、昭和50年3月にスタートした15分枠の月〜金ベルト「奥さんお買い得です!」があった。同番組は県内で急成長していたスーパーストアを中心に、新聞のチラシ的情報をテレビで見せようという主旨でスタートし、内容を変えつつも看板番組として続いていた。
 しかし大店法による中央資本の進出やライフスタイルの変容等もあって視聴率的に苦戦を続けており、マンネリとの指摘もあった。このため思い切って同番組を打ち切り、枠を更に15分増やして30分の新ベルト情報番組としてスタートさせるべく関係セクションとの交渉に入った。
 幸い、制作現場サイドの了承も得られ、この企画は「悠遊奥様倶楽部」のタイトルで、10月改編の”目玉”として午前11時から始まった。現在数字的には苦戦しているが、担当ディレクターには好きなように作らせており将来番組化できそうなコーナーも出ている。
 一方、局イメージアップのため、キャラクターの創出と、資本関係にあるエフエム秋田での番宣番組化という新PR対策も打ち出した。前者は「テレビザウルスCANAL」という怪獣を、後者は「テレビを見ようヨ!」というそのものズバリのタイトルで、土曜,日曜にそれぞれ5分のミニ番組2本をスタートさせた。
 バブル崩壊による経営環境の厳しい時だっただけに、新たな予算措置も出来ず、既存予算のスクラップアンダビルト作戦で「CANAL」のCGを、またFMではPRスポット予算をタイトル化させることでしのぐセコイものであった。特に後者についてはアナの出演よりも編成部員による番組化に重点を置いたが、労働強化にもかかわらず担当の女子職員2名は前向きに取り組んでいる。
 この他、若手ディレクターに活動の場を与えようと単発での深夜枠開放を打ち出したところ、12月24日のXマスイブにAV女優を起用するアブないバラエティが企画され、プロ野球ニュース終了から朝5時近くまで放送する画期的試みも行われた。この番組では”何かをやるAKT”という視聴者、他局からの印象を得られ昨年も2回目が放送された。
 ところで新局の秋田朝日放送であるが、開局後初の視聴率調査(11月29日〜12月5日)によるとAKT(全13,7%、G23,3%、P22,4%)、ABS(全12,9%、G25,8%、P23,0%)、AAB(全7,7%、G13,1%、P13,6%)とABSがG、Pの2冠、AKTが全日の1冠となっており、私としては「まあ、こんなものかな」という感じであった。
 ところが今年2月の調査になるとAKT(全11,4%、G18,1%、P17,1%)ABS(全14,0%、G23,0%、P22,2%)AAB(全9,7%、G15,8%、P16,6%)と全日帯で2%、G帯で3,7%、P帯で2,8%とかなりのアップとなり、4月の調査でもほぼ同じ結果となっている。数字で見る限り「低迷のAKT、3冠のABS、猛追のAAB」という図が成立する。
 本県の視聴率調査は年4回の日記留置式によるもので、FNS系列では富山テレビ、福井テレビ、山陰中央テレビがほぼ秋田と同じ傾向が出ている。AKTの低迷は早朝帯の低視聴率と、かって隆盛を誇っていたドラマ,バラエティの不振が原因となっている。苦しまぎれに私は視聴率調査分析で”フジの病い”と命名してしまった。
 一方経営的にもAABの開局は響いており、平成5年度決算ではAKTの売上が52億2千万円とついに前年割れとなり、AABは24億円と善戦している。テレビ営業に関するシェアもAKTとABSで2分していたのがAKT40,3%ABS41,2%AAB18,5%となり、特に最近の視聴率アップを背景に東京、大阪、仙台での営業活動にはずみがついているようだ。

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再び現場へ
 さて、本社編成2年担当中、全日1冠のみという見事な成績を残した私は、今年2月の異動で制作部に移った。実に6年半ぶりの報道制作局復帰である。この異動について私は「口でゴチャゴチャ言わずに自分で作ったら?」という事と勝手に解釈していた。
 また内心、フジテレビが4月改編で検討している早朝生ワイドの対応かとも感じていた。というのも、異動前の自社4月改編で実は夕方帯のローカル生活情報番組のベルト化を課題としてあげていたからである。
 札幌テレビの「どさんこワイド」の成功を機に北海道の”夕方ローカルワイド戦争”の情報は各地に飛び火しており、特に日テレ系のローカル局の動きが目立ち始めていた。そして秋田でもABSがこうした動きに呼応するかもしれないという情報もあった。
 さらに系列のブロックで仙台放送、福島テレビでも同様の動きがあり、実施時期が焦点という情勢も手伝って、編成サイドとしては一応の結論を得ようと動いていたのである。こうした中で私が゛頭”で考えていた事が、制作に異動したため”手足”として可能かという自己矛盾に陥り、結局フジテレビの早朝ワイド化の具体策を待つ形で夕方ワイド番組案はペンディングとし、10改編時で経営陣の判断を求める事で社内統一した。
 さてその早朝生ワイド情報番組「めざましテレビ」は4月放送直前の3月11日、系列の担当者会議で初めて具体案がフジテレビ側から提案された。席上フジテレビを代表して「番組の予算、仕切り、責任は一切編成局にあります」と明言したのは開局以来親交のある北林由孝報道局番組センター室長であった。
 つまりFNNではなくFNS全体で総力を挙げてこの番組に取り組もうというわけである。この会議で示された構成案を見て私は「ズームイン朝」や「やじうまワイド」等々の各種情報番組から”おいしい部分”を全てパクって作るというナリフリ構わぬ姿勢を感じたのであった。
 秋田テレビ制作部のスタッフは担当局次長以下20人。内訳はアナウンサー10人(女性6人)、次長、部長を除いたディレクターが6人(女性1人)、派遣のAD1人、庶務1人の陣容である。レギュラー番組は前述した月〜金ベルトの情報番組と県庁、市役所、JA農協の広報番組が毎週それぞれ1本、また東北ネットしている民謡番組も週1で作っているほか、年間60本の単発番組を抱えている。
 このスタッフから「めざましテレビ」へ月2回の中継を出すわけだが、技術スタッフを含めればこれが限界だろう。ただ同番組への系列中継に対し、スタッフの競争、対抗意識が芽生えており、より良い映像への求心力が増幅されているのは私にとって心強い。
 しかし、同番組への露出が、オープニングと日本の窓から温泉、激突コーナーまでに1時間余の空白があるのは現場として淋しい。自社でローカル差し替えが出来ないか検討している。
 こうした経緯を通して、冒頭の酒場が登場する。来るべき衛星時代、ローカルはどこまで自社編成の枠を確保しているのか。ゴールデンの生ワイド、深夜のアブナイ中継は可能であろうか。いやそれ以前に10月改編時に秋田テレビの夕方ワイドはどうなっているのか。私達の酒場の話題は尽きない。

 中年探偵団入会規則 1.なにごとも好奇心旺盛であること。 2.短足をものともせず、いつでもどこでも神出鬼没たること。3.家庭を省みず、遊び心に徹すること。 4.身分をわきまえず、高級注文服など身につけること。 5.顔の美醜を気にせず、異性への関心を持ちつづけること。 6.つねに仮面ライダー風に変身願望を抱くこと。 7.軽佻浮薄を美徳と心得ること。 8.ガラスのごとく繊細な心と、少年の夢を持ち続けること。9.年甲斐もなく、つねにおしゃれを心掛けること。 10.団員であるかぎり、他人の”著作権”に一切こだわらないこと。

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平成6年(1994)フジテレビ発行「AURA」掲載「CALLSIGN」ページより


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  遊・学・3000への道
                    
2002.2.14
                      会社勤めをしているが、定年まで三年近くなり改めて夢に描いた“百姓”への青写真を撮り始めている。
 9年前、亡くなった父が南外村に残した田畑、山林と、萱葺き屋根の住家を相続した時は、手続きの面倒さと冬期間の雪降ろしなどの維持費にウンザリしたものだった。しかし、無人の住まいとなった萱葺き屋根の荒廃ぶりを嘆くよりも、周辺の風景には、秋田市にはない人間本来の営みが感じられ、いずれはここに移り住んで自給自足の生活をしてみたいと思うようになった。
 なにしろ、ここは水は沢水、火は囲炉裏で薪を使っていたので、光熱費は電気代だけというのがこれまでの生活だったのだから、食糧さえ自足できれば暮らせるという、“贅沢”(友人の都会人達から見れば)ができるのだ。
 先ず、住まいであるが、廃墟に近くなった茅葺き住家を改築、修繕するよりも、小さい家を建てたほうが安くすむため、今は設計以前のデッサンに所為を出している。また、野菜の他、ソバや花卉も植えてみたい。
 さらなる夢は酒米作りである。のん兵衛の私としては自分の米で自分の酒を造りたい。幸い土地は広いので、ここに同好の士を集め“のん兵衛長寿村”のようなものを建設できればとも考えている。まさに、県が推進する「遊・学・3000」の理想郷ではあるまいか。(山酔火)
       
 FMあきたHPに掲載


  こちら番組案内の電話です〜視聴者との対話に思うこと〜

             秋田テレビ視聴者相談センター長 根田昌治

視聴者対応の窓口を担当して3年近くになった。私たちの局では視聴者からの要望や番組に対する内容問い合わせ、意見、苦情などに対応するセクションとして「視聴者相談センター」があり、担当者が専用電話(新聞のテレビ欄で局名の下に書き込まれている電話番号)で対応している。もちろん郵送によるものや、メールによるものもあるが、直接視聴者と話ができるのは電話であり、“生の声”が聞けるのが利点である。
私たちはいかめしい感じのする「視聴者相談センター」の呼称を使わず「こちらは番組案内の電話です」と分かり易く応答することにしている。但し、この専用電話は夜間と土曜、日曜、祝日は留守電になるため、その場合はテープで録音された声を聞いている。
電話ではこれまで様々な視聴者の方と話すことができ、定期的に今後のミステリィ番組の内容を聞いてくるお年寄りや、東京のTBS系、テレビ東京系番組の編成を聞いてくる若者など“常連客”は声を聞くだけで判るようになった。
電話の内容だが実に多種多彩である。今後の番組編成や自社制作のニュース、情報番組への問い合わせが圧倒的に多いのだが、意外だったのは局名が浸透していないことである。特にお年寄りにとっては、自宅のテレビのリモコンチャンネル番号で放送している局という認識のため、局名を覚えることなく、民放もNHKも一緒のテレビ局になってしまうのだ。そのせいか、他局の番組の問い合わせもかなりの数にのぼる。
私たちにとって困るのは、放送日、放送時間、番組名を忘れてのCMについての問い合わせである。基本的に前述した三点については機械化されたデータがあるので、放送後でも対応は可能だが、それを忘れられては手のうちようがない。番組であれば担当者の知識、記憶に頼ることも出来るが、CMは数多く答えられないのが実情だ。
このほか、キー局の番組を秋田で制作していると誤解している方も多い。「これは東京のテレビ局が作っているものですので、そちらの電話番号をお教えします」と答えると「そうなんですか」とビックリされる。そのキー局であるが、以前は問い合わせの多い番組については資料をファックスで送ってきたものだが、インターネットによるホームページが充実するに連れて資料を送らない傾向にあり、最近ではそのホームページを見ながら質問に答えるケースが増加している。電話をかけてくる視聴者は、当然のようにインターネットをアクセスする環境にはないのだが、キー局のURLの問い合わせは増えており、今後ネット番組はパソコンで調べる方が多くなるだろう。
ところで、私たちが一番忙しくなるのが、このキー局の特別番組編成時である。報道特番はネット局という関係上、ローカル編成時間であっても問答無用で編成、放送しなければならない。従って放送できなくなった番組への問い合わせが多くなるし、中には「どこでも同じような番組ばかりだから事前編成の番組を見せろ」という苦情が来るのだ。最近私たちが泣かされたのが(実際は視聴者が泣いているかもしれないのだが)、イラク戦争であり昨年のプロ野球セリーグ優勝カードの中継、北朝鮮拉致問題での横田めぐみさんの子ども、キム・ヘギョンさんのインタビュー特番である。
イラク戦争は戦争という大事のためかさほどクレームは多くなかったが、昨年の巨人の優勝がかかっていたカードが延長戦に入り、そのまま中継を続けた時は、事前に予定していた「ナースのお仕事」(人気番組でしかも最終回)の放送時間が大幅に遅れ深夜近くになった。遅い放送時間帯に加え、ビデオ予約をしていた視聴者からは映ってなかったとの苦情が殺到し、再放送を求める要望も相次いだ。
また、キム・ヘギョンさんが、涙を流して答えていたことからか、「北朝鮮のプロパガンダ」「十五歳の子どもにむごすぎる質問」との指摘、批判がかなりの数にのぼった。いずれもキー局の編成によるものだが、前述した通りリモコンに設定している「秋田の放送局」に苦情が殺到したのである。もっとも、キー局であるフジテレビの電話番号を知っている視聴者の方は少ないだろうから無理はないのだけれど。
一方、秋田県内にキー局がTBSのテレビ局が無いことへの視聴者の不満も多い。特に昨年のプロ野球「日本シリーズ」の巨人優勝カードの第四戦は中継がTBSだったために、既存局へどうして放送しないのかという質問が相次いだ。視聴者の「系列」への理解が希薄なことが原因だが、それを理解しながらも他県に比べてTBS系テレビ局が無いという情報間格差を嘆く声も多かった。TBS系の民間衛星放送「BSi」でも放送したのだが、局の存在自体を知らない方が多く、まだまだ民間の衛星放送は普及していないことが今度の苦情で分かった。
地上波テレビ局は、国の方針でキー局(東京、大坂、名古屋地区)が今年12月、私たちローカル局が2006年迄にデジタル化による放送が求められている。デジタル化とは簡単に言えば高画質な放送やデータ放送などの新しい放送サービスが可能になることなのだが、そのための設備投資が新たに数十億円に及ぶため、各ローカル局は厳しい経営環境にある。デジタル化が具体化するにつれて、視聴者の方々からは関連する問い合わせや質問が増加するだろう。
また、最近は番組を数十時間も録画できるハードデスクが内臓されたテレビやパソコンが登場しており、視聴者は放送時間を気にせずに番組を見れるため、これが普及すれば問い合わせは格段に減少することも予想される。いずれにしても高画質、高機能のテレビの普及はまだ先であり、私たちは今日も視聴者との対話を続ける。「はい、こちらは番組案内の電話です」。
                             
(了)
           2003年秋 魁文化欄用(未掲載)
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