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1、「なぜ日本はこんなに自殺者が多いのか」
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(2009年8月12日)
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2008年の8月31日の午後、私は岩手県二戸市のホテルの会議室にいました。二戸市保健所が主催した「自殺予防シンポジウム」のパネリストに招かれたのです。
二戸市は盛岡から新幹線「はやて」で北に20分。秀吉の天下統一に反旗を翻して斬首された、九戸政実の居城のあったところ。
山また山の急峻な地形がホテルの側まで迫っていました。窓の外は鬱蒼とした森に霧のような細かい雨が降っていました。
壇上のコーディネーターは県立病院の副院長(精神科医)、パネリストは自死遺族と地元民間団体の代表と私の3人でした。
2時間ほどのシンポジストの発表が終わり、会場とのやり取りになりました。
数人の質問者の後に30台前半と思われる女性が質問に立ったのです。
後方からの質問で声がよく通りません。声が低くて質問の趣旨がよく理解できません。会場の係りがマイクを持って本人に渡しました。緊張しているせいか、すぐに声が出ませんでした。
女性は、声を詰まらせながらも「なぜ日本はこんなに自殺者が増えたんですか」短く単純に問いかけたのです。コーディネーターの医師はパネリストの顔を一巡してから、私に答えを求めたのです。
唐突な質問に、「なぜ日本の自殺者がこんなに多いのかはわかりませんが、いつから自殺者数が増加したのかはわかりますのでお答えします」と言って、
平成10年に日本の自殺者数が2万4千人から一気に35%上昇し、自殺者数3万人時代に入ったこと。
増加した自殺者数の大部分は経済問題や勤務問題や家庭問題であること。
平成10年に8400人も増加し3万2千人になった。
前年に北海道拓殖銀行や山一証券が破綻して銀行が不良債権の処理に走った。
金融機関の貸し渋りが始まり、ゼネコンや百貨店が倒産した。
失業率も高水準になった。経済破綻が企業倒産と失業者の増加を招き、経済苦の自殺者を増加させたのです。
とあるだけの知識を総動員して答えました。
会場との遣り取りは終わりましたが、質問者はそんな答えを期待したのでは無かったのではないか、との疑念が残りました。
「なぜ日本はこんなに・・・」と自殺問題の本質に関わる答えを求めたのではないかと。
「なぜ」の要因を地域経済の疲弊や所得格差やリストラに見出すことは容易です。しかし、増加の真因は日本人が未来に夢を持てなくなったからではないか。
経済的な繁栄だけを求めた国民の「宴の後」の空虚感が自殺者を増加させているのではないか。
物質的豊かさのみを希求したことの「つけ」がこころの貧困となって自殺者を増加させたのではないか。
と思えてなりません。
放浪の詩人、山頭火に「分け入っても、分け入っても青い山」との句があります。人のこころは難しく、自殺問題もむずかしい。分け入っても、分け入ってもわからない世界です。「なぜ日本人は・・・・・」の問いは解けない謎のまま、ホテルの窓越しに降る霧雨の光景と共に、深い印象となって私のこころに残ったのです。
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2、「マラソンランナー達のゆくえ」
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(2009年9月3日)
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東京晴海の「ビックサイト」から新橋駅に向かうモノレール「ゆりかもめ」の車窓からは、高層ビル街の華やかな光景が見えていました。
2009年9月6日、夜の7時頃のことです。
9月10日のWHO(世界保健機関)自殺予防ディを前に、NPO法人「ライフリンク」が主催した「自殺のない生き心地の良い社会を目指して」と題したシンポジウムに参加した帰路のことです。ライフリンク代表の清水康之さんと姜尚中さんの対談を聞きたくて、シンポジウムに参加しました。
私は放心したような開放感に浸りながら、不夜城のビルの明かりが水面に映す陰影を見つめていました。
光の点滅を見やりながら、「ライフリンク」代表の清水さんが会場で流した「東京マラソン」の映像を脳裏に浮かべていたのです。
清水さんは自殺者数3万人時代の現状を「東京マラソン」の走者の数で示したのです。会場の参加者800人に自殺の惨状を実感してもらうために。
びっしりと道路を埋め尽くして走る「東京マラソン」の参加ランナーの数が日本の自殺者数3万人とほぼ同数だというのです。清水さんがビルの屋上にカメラを持ちこんで撮影したものでした。走者のドヨメキが熱気になって画面いっぱいに映されました。20分の放映時間分が、日本の3万人の自殺者の数だということでした。
会場がシーンとするほどの鬼気迫るものがありました。
あの3万人のマラソン走者達は、一体、どこに向かって走っていったのでしょう。ランナー達の行く先にどんなゴールで待っていたのでしょうか。
車体を傾ける「ゆりかもめ」に揺られながら、ドヨメキの残響に思いを巡らしていました。自殺した人達が叫んでいる歓声は何の声であったか・・・・・と。
生きることに絶望した人達の悲鳴に聞こえてなりませんでした。
懸命に努力しても報われない社会への怨嗟の声にも聞こえました。
「助けてくれ。助けてくれ」・・・・・・・・・・と。
眼下の水面に浮沈する光の明滅がランナー達の幻影のように見えました。
映像の臨場感が恐怖心になって胸を掠めていました。
日本の自殺者数が3万人をこえたのは1998年。
それから、毎年3万人ものランナーが「死のマラソン」を走っています。
11年間で33万人以上の「尊いいのち」が日本から消えました。不況下の今年も、間違いなく3万人以上の国民が「死のマラソン走者」になることでしょう。
10年以上も自国民の「いのちを救えない」世界に冠たる経済大国の日本。
何たることか。 やり場のない憤怒の感情が湧き上がりました。
秋田県の自殺率ワーストもなかなか返上できません。奔走することのむなしさと閉塞感を乗せたまま走る「ゆりかもめ」の車窓からは見える光景が、日本経済の張子の繁栄に見えていました。
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3、「鳥の目」と「虫の目」
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(2009年10月9日)
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自殺対策には、幾つもの視点があるのでしょう。
「鳥の目」と「虫の目」の視点。
地域別に対策を打つ視点。
原因別、年齢別、業種別に対策を打つ視点。
事前予防、自殺発生の危機対応、事後対応の視点等、
もっとあるかも知れませんが、学問的研究は専門家にお任せすることにして、素人が現場で考える自殺対策の視点を述べます。
まずは「鳥の目と虫の目」の視点を。
「鳥の目」の視点は、宙を舞う鳥のように、日本全体を天空から俯瞰して対策を構築する方法です。
自殺対策基本法の制定や国が策定した「自殺総合対策大綱」がこれに該当するでしょう。都道府県が策定する「健康推進計画」等も、目線はもう少し低い位置になりますが、鳥の目線になるでしょう。日本全体、地域全体の自殺対策をどうするか、という視点です。総合的かつ包括的に、分析し、自殺対策を構築する方法です。
もう一つの「虫の目」の視点は、地を這う虫の目から見るように、自殺念慮者や未遂者に近接する位置から「個々のいのち」と直接に向き合うことによって、現場体験の累積から対策を構築する方法です。
保健師の相談活動、多重債務、グリーフケア、臨床心理士、医師、弁護士等の相談、民間団体の相談活動がこれに該当するでしょう。
「蜘蛛の糸」の経営者の自殺防止活動も後者に該当します。
日本の「鳥の目」と「虫の目」の対策の現状は、どの段階にあるのでしょうか。
「鳥の目」に、対策大綱の基本認識にある「自殺は追い込まれた末の死である」、という地上の個人の姿が見えているのでしょうか。そして、個々の「人間のいのちを救う」ためには、どんな政策や対策がベストであると、自信を持って言える方策が確立しているのでしょうか。
一方、「虫の目」の視点のほうはどうでしょう。
地を這うような視線で、個別の相談に応じている相談員や相談機関に、同大綱の基本認識の「自殺は防ぐことができる」対策が考えついているのでしょうか。
現場で活動している団体や個人で、自殺者数を減らせると考え、実践している人は何人いるでしょうか。日本全体を見回しても、数えるほどしかいません。自殺者数3万人を救うには、気が遠くなるほどの、少ない数です。
それに、「虫の目」で活動していると「個々のいのちを救う」ことに懸命で、全体の対策を考える余裕もないのでは。
「鳥の目」で俯瞰することは、築城に譬えるなら、設計図書を作ることであり、「虫の目」の活動は、地表から石垣、基礎、柱、壁と立ち上げることでしょう。
両者は対立する関係でも、矛盾する関係でもありません。
試行錯誤の思考と実践の経過を経て、融合する関係にあります。
山頂から下山する人と、麓から登頂する人が、中腹で出会って、エールを交わすように。
それでは、秋田県の「鳥の目」と「虫の目」の関係はどうなっているのでしょう。
「官」「民」「学」の連携が進んでいます。県や秋田大学の俯瞰する「鳥の目」からは、自殺防止の全体像が相当見えているでしょう。
民間団体の「虫の目」目線からも、対策の全貌が次第に見えてきました。
登山なら、3合目か4合目位の感覚です。眼下に対策の景色が広がってきました。関係者が、自殺問題ではなく、自殺対策を語るように成りました。
5年間で519人から410人(20%減少)に減少したのは、連携の成果がもたらしたのでしょう。時間をかけた連携の努力は決して無駄ではありません。
自殺防止の究極は「地域住民のいのちを救う」こと。
「官」「民」「学」の密接な連携は、自殺対策の切り札になります。
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「連携の重要性」について、
自殺対策基本法、基本理念2条ッ4に
「自殺対策は、国、地方公共団体、医療機関、事業主、学校、自殺防止等に関する活動を行う民間団体その他の関係する相互の密接な連携の下に実施されなければならない」。と明記されています。
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4、「400人の壁」
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(2009年10月24日)
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秋田県の自殺対策関係者は、次第に底力を付けています。
県、市町村、秋田大学、医師会、民間団体の連携が進んでいます。研修会や講演会、シンポジウムが盛んで、関係者の意思疎通の機会が頻繁になり、関係者のお互いの顔が見えるようになってきました。
地元新聞(秋田魁新聞)の本格的な報道が始まり、自殺予防活動は県民運動の様相を呈しています。活動が「点」や「線」では無くなりました。縦糸と横糸を紡ぐように「官」「民」「学」連携のセーフテイネットが「面」になっています。まもなく、立体の重層構造の展開になるでしょう。
秋田県の自殺対策の特徴を羅列すると次の通りです。
1、県の健康推進課に自殺対策の専従班(自殺対策班)があり、10年の活動歴がある。
2、秋田大学医学部の本橋豊教授(医学部長)を中心とする「公衆衛生学的見地」の自殺予防研究の存在。
3、民間団体の熱心な活動の展開。自殺予防活動の民間団体が34ある。
4、秋田県医師会の協力医制度を中心とした取り組み。
5、全市町村が予算を組み活動に取り組んでいる。
6、地元新聞(秋田魁新報社)の連続した自殺予防報道。
等、多様な取り組みになってきました。
それぞれの団体、それぞれの活動に必要な「キーパーソン」の顔が見えます。活動歴も長くなり、活動団体に実力が付いてきたのです。
関係団体間が連携の形を成してきたのは、2003年頃からでしょうか。実質的な「官」「民」「学」の連携は5年間位の期間だと思います。
時系列的に見ると、秋田大学医学部が先行し、次いで秋田県、医師会と民間団体の活動開始が同時点にみえます。3年程前から地元新聞の報道、市町村の取り組みが始まりました。
自殺対策を進めるについて、活動歴が何年かは、大切な視点です。
なぜなら、どんなに有能な組織や個人でも、短期間では自殺対策の本質を見抜くことは難しいからです。
最初は連携の必要を感じないまま、組織の活動や維持に時間を費やします。時間的な経過を経て、自殺問題のむずかしさ、対策の大変さに気が付くことになるでしょう。懸命に頑張っても、なかなか、地域の自殺者は減らないからです。むなしさや閉塞感の「壁」に必ずぶつかります。自殺問題のむずかしさを認識し、自分の力、団体の力量を知って、他団体との連携の必要性に気がついた時が、半歩前進でしょう。
1年や2年の短期間では、ノウハウも不足ですし、「何としてでも自殺者を食い止めたい」という思いが丹田に湧きません。(私の場合ですが・・・・)
自殺対策は人間の「生と死」の尊厳の極致に関わること。
「人間学」の側面をもっています。死に追い詰められる人の心情を知るには、時間がかかります。
人間の悲嘆や苦悩、死に追い込まれた心理や「人間の不可思議さ」を知らなければ、自殺対策にはなりません。
秋田県の自殺者数が300人台から400人台になったのは1998年。
日本の自殺者数が3万人台になった年に連動しました。
370人から450人になりました。(25%上昇)
それ以後の11年間、一度も400人を切った年はありません。
自殺者数「400人の壁」、これこそが、対策の前に立ち塞がる「巨魁」です。この壁を突き破った時が、ワーストを返上する悲願の年になるでしょう。
県の達成目標「330人」の最終年度は2010年。来年です。
「400人」の壁を破り、県目標の「330人」になった時、自殺率全国一の返上と県目標が同時に達成されます。
全力を挙げて挑戦すべき課題です。
「400人の壁」について、先月(2009年9月20日)、地元秋田魁新報社の依頼で、秋田大学准教授佐々木久長先生との対談がありました。
当日の新聞記事を掲載します。秋田県の抱えている問題点が見えるでしょう。
| (記事をクリックすると拡大します) |
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5、「氷山の一角」
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(2010年1月26日)
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新しい年、2010年が始動しました。
今年の日本の景気、日本の政治、日本の社会風潮は一体どうなることでしょう。
年の始めから「政治」と「カネ」の古典的政治問題がにわかに表面化して、日本政治にきな臭さが漂っています。政治の不安定は国家の不安定。政権交代の影響で、地方経済はいまだ、方向がさだまりません。
期待と不安が交錯したまま、新年度の予算の執行を注視しています。
選挙目当ての論戦は後回しにして、一日も早い予算案を通過させて地方経済を元気にして下さい。20年間の政策無策に生じた地域格差は少し位の対策ではもう、修復ができないかもしれません。なにしろ、秋田県の一人当たり県民所得は首都圏の48%まで下り、限界集落をかかえる町村の一人当たり所得は32%になっているのですから。
希望の一年になるか、可もなく不可もない一年になるか、期待はずれの一年になるか、今から12ヶ月後の2010年の歳末が楽しみになります。
希望を持って予測能力を駆使し、一年間を過ごしてみましょう。
さて、今年の日本の自殺対策、秋田県の自殺対策の行方はどうなるのでしょう。昨年の日本の自殺者総数は、まだ公表されていませんが、間違いなく3万人は越えたでしょう。
秋田県の自殺者数も400人を切ることは出来ませんでした。
昨年の数字は438名でした。(2010年1月21日秋田県警発表)
昨年より33人増加し、前年比8・1%の増加です。
増加率は全国の増加率を上回ったのではないでしょうか。
年齢別には、30代の若者の増加が27名から52名に急増し、自殺者数を押し上げました。これからの時代を担う若者の自殺は痛ましいかぎりです。
日本の自殺者数も秋田県の自殺者数も、この程度の対策では自殺者は防げないことを示しているのでしょう。自殺対策のむずかしさを痛感せざるをえません。
自殺問題を考えていたら、「氷山の絵」が思い浮びました。
「氷山の一角」という言葉は、表面に見えているものは、全体の十分の一に過ぎないということです。日本の自殺者数3万人の背後には10倍の自殺未遂者がいると言われています。秋田県の自殺者数「400人」の背後にも4000人以上の自殺未遂者がいるのでしょう。自殺対策に取組んでいる私達は、本当に海面下の氷塊の大きさを認識しているでしょうか。
日本の自殺者数、「3万人」の背後にある「30万人」、秋田県の「400人」の背後に存在する「4千人」を意識した対策がなされているでしょうか。
見えている数字に幻惑されて、見えない部分の存在の大きさの対策を怠っているような気がしてならないのです。
今年の「自殺対策の視点」は、相談現場から洞察する対策を提案していきます。
●「氷山」の絵

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6、「自殺に追い込まれる人はサインを発している」
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「自殺に追い込まれる人はサインを発している」と言われています。
自殺総合対策大綱の基本認識においても、「自殺を考えている人悩みを抱え込みながらもサインを発している」「死にたいと考えている人も、心の中では、『生きたい』という気持ちとの間で激しく揺れ動いて、不眠、原因不明の体調不良など自殺の危険を示すサインを発している」と書かれています。
それでは、自殺に追い込まれる程のサインとはどのようなサインなのでしょう。サインを発しているのに、なぜ家族や職場の同僚や隣人は気がつかないのでしょう。
2月1日と2日にかけて新潟県で講演する機会がありました。初日は雪と着物の十日町市、翌日は原発に揺れる柏崎市で。新潟県精神保健福祉協会「こころのケアセンター」の招きで『経済問題と自殺予防』についての講演をすることになったのです。東京に前泊し、7時48分発の新幹線「Maxとき」に乗り込みました。関東平野の抜けるような青空は妙高山の長いトンネルと抜けると一変し、川端康成の『雪国』の世界でした。「駒子」のような新潟美人の出向かいを受けて向かう会場までの道路は雪の回廊。少し位の雪の量には驚かない雪国秋田の私でも、さすがに十日町市の雪景色には圧倒されました。車の窓の外の景色が見えないほどの雪の壁ですから・・・・。
参加者は30名位で、保健師や社会福祉士、近接市町村の行政機関の担当者でした。講演の後半では、参加者を2ー3人のサークルにして質問を取りまとめて、活動上の疑問点に私が答える形式をとったのです。
質問の中に「自殺者に追い込まれる人はサインを発しているとは言われますが、どんなサインなのですか」の質問がありました。この質問に対する答えは、自殺対策にとって、重要なポイントを含んでいます。自殺を考える人はどこでどんなサインを発しているのかわかりません。サインを発していることが解ると自殺を食い止めることが出来るからです。
相談現場にいると、ご遺族の方の悲しみを聞くことは頻繁にあります。
また、ご家族を失ったばかりのご家庭で、これからの生活設計についての相談を受けることもあります。そのとき、家族は異口同音に「夫が(子供が)自殺を考えているとは思いもよりませんでした」「気がつきませんでした」と語っています。サインを発していることがわかったら、家族は懸命に止めるに違いありません。自殺を考えている人のサインは、家族さえも気がつかないほどの「微弱」なサインなのでしょうか。
3年前の2007年2月15日、私は、同じ質問を秋田県横手市の民生・児童委員会の講演会場で受けています。
「自殺防止は民生・児童委員にとって大変むずかしい。自殺は瞬間的なものだと思う。一緒に生活している家族でも気づかないことが多い。自殺する前に『シグナル』があると言いますが、人のこころは外から見えないものです。『シグナル』を発見するにはどうすればいいか」と問いかけられたのです。その時は、質問のむずかしさに答えることが出来ませんでした。
その4日後の2月19日の黎明、夢を見たのです。波のない穏やかな暗い海の上に無数の難破船が浮かんでいました。人気の絶えた船、中型、大型船が漂流していました。舳先の先端が海中に沈みこんでいる小船もあります。沈没が間もないのです。難破船に人が乗っていました。手を振っています。助けを求めているように見えました。遙か遠くに灯りが見えました。灯台の明かりです。霞んだ灯りがぼんやりと光っていました。
夢の中では、難破船の乗員は「助けてくれ」「助けてくれ」と手を振り「シグナル」を送っていたのです。灯台からは難破船に乗っている乗員の姿が見えませんが、乗員からは灯台の光が見えていたのです。
「シグナル」が見えないというのは相談機関側の発想です。発想の逆転をして一方的に自殺を考える人に「いのちを救う希望のシグナル」を送ればいいのです。灯台の光のように。灯台とは何か。相談者から見える、高く、強い光源の相談機関の存在です。自殺したいほど悩んでいる人に「決してあなたを死なせない」との強力なメッセージを込めて。継続反復のメッセージは必ず「乗員」のこころに届くに違いありません。
民生・児童委員会の質問は、「蜘蛛の糸」が徹底した啓発活動に舵をきるきっかけになりました。

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7、「連携しながら前進を」
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今年に入り、東京都や新潟県等で、数回の講演する機会がありました。講演終了後の行政や民間団体との意見交流の場でいつも感じるのは秋田県の自殺対策の先駆性です。
秋田県には、秋田大学の自殺予防学のように県民の身近にあって助言してくれる大学もありますし、自殺予防の民間団体が34もあるのです。県や市町村の対策、医師会の協力医制度も含めて他県の対策よりは4〜5年は先駆していると実感します。自殺対策基本法(2006年10月施行)が制定され、これから対策を迫られる他県から見たら、秋田県の自殺対策は、活動団体と知的資源に恵まれているといっていいでしょう。しかし、これだけ先駆した「秋田モデル」の10年間をもってしても自殺率全国一は14年間も続いています。昨年の統計結果(厚労省人口統計)は6月までわかりませんが、警察統計では438人で自殺者数が増加していましたから、15年目のワーストはほぼ確実なようです。自殺問題の根深さを痛感します。秋田県の自殺問題の深刻さは、人数の多さは勿論ですがが、もっと深刻なのは期間の長さにあります。このまま16年、17年とワーストが続いたら、日本で最も「生きづらい秋田」の烙印を押されかねません。県民風土に与える影響も無視できないのです。
民間団体にできることに限りはありますが、自殺対策について、幾つかの私見を述べてみたいと思います。
一つは予知能力を駆使した対策です。日本の自殺対策は、予知能力に欠けていると思います。昨年の若者の自殺の増加は、製造業の大量減産や廃業、従業員解雇の時点で予測できたのです。対策が後手に回って前途ある若者達を大勢、死に追いやってしまいました。この不況はどの職種に影響を及ぼすか、どの年齢層が最も押し潰されるか、どの地域に対策をうつべきかを事前に察知して対策を打つべきでしょう。後手の対策をうっても「失われた人」は帰ってきません。自殺防止は後悔してからの方策では遅いのです。
二つ目は地域別に年齢、職業、原因別の対策を打つべきです。誰が考えてもマンモス都市東京の自殺対策と100万人規模の仙台や人口30万人規模の秋田市と1万人規模の町村の自殺対策が同じだとは思わないでしょう。また、中小企業経営者と勤務者、無職者の対策も同一ではありません。派遣切りで失業中の若者と65歳以上の高齢者では悩みの原因が違い、対策も方策も違うでしょう。啓発方法や動員する組織、相談員の適性も違うからです。
三つ目は「データに基づいた」対策を推奨します。統計数字と過去データを分析し、月別に緩急をつけた対策の実践です。自殺対策には過去データが極端に不足しています。公表はプライバシーの侵害に配慮する必要はありますが、公表することで救える命も沢山あるのです。自殺対策は「これ以上新しい自死遺族を日本につくらない」ための戦いでもあるのです。3月29日に秋田魁新報に、秋田県の自殺対策について私の意見が掲載されましたので、ここに掲載します。
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