「どん底での過ごし方」の章
1、災難に遭遇したら
倒産してしまったら、どうしましょう。自己破産したら、どうしましょう。
人生のいっときには、運命の女神に見放なされたように、不運が次から次と押し寄せるときがあります。自分の力だけではどうにも成らない時です。
どうにも成らない時は、どうにもなりません。ジタバタしても、どうにもならないのです。運命の歯車が空回りしているのです。
もがけば、もがくほど、深みにはまり込んでしまいます。
災難を受け入れる以外の方法がありません。
そんな時は、絶望の広場に、「大の字」になって、大声で叫んでみましょうか。
「どうにもならない」と。開き直りです。
良寛にいい言葉があります。
良寛71歳の晩年、越後の三条で、倒壊家屋1万3千戸、死者1千600余人の大地震がありました。地震の後に、友人の山田杜皐に送った、見舞いの手紙の一文です。
「災難に逢時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是は是災難を逃れる妙法にて候。」
災難に逢う時は、災難に逢うがよい。死ぬときは、死ぬがいい。災難を受け入れることこそが、災難から逃れる最もいい方法だ、というのです。
災難も身の内。災難も人生の一部です。自然体で受け止め、逆境をこころの深い部分に取り込みなさいと、杜皐を諭したのでしょう。挫折のどん底で、こんな心境になれるか、どうか!

2、倒産は、人生の終わりではありません。新しい人生の始まりです。
2000年10月2日の倒産の日、愛用の3年ビジネス日記に、「第三の人生のスタート日」と書きました。下の欄には
1、 逃げないで、真正面から人生に対応しよう
2、 専門家(弁護士)に委ねる
3、 「新しい人生をスタートさせる」
と書きました。
新しい人生とは倒産後の人生をさします。生まれてから県職員を脱サラする26歳までが第一の人生、会社を経営した57歳までの約30年間が第二の人生、倒産後の人生が第三の人生になります。倒産日を、新しい人生のスタート日に決めました。倒産は、もちろん初体験です。手帳に記載した時は、倒産後の人生がどうなるか想定したわけではありません。ただ、そう書いただけです。生き抜ぬいて、再起に向かうと意思決定をしたのです。諦めないため、挫けないため、自分を励ますための言葉でした。代表取締役の人生は終わっても、個人の人生は終わったわけではありませんから。

3、健康診断をしよう
会社が倒産したら、すぐ、健康診断をしましょう。
会社の事業主は政府管掌健康保険の加入者です。会社が倒産しても、掛け金が未納になっても、会社に法人格があり、資格喪失しない期間は、保険が適用になります。しかし、まもなく国民健康保険に切り替えなければいけません。
事業主から個人の国民健康保険に変わるまでの、切れ目の期間に病気することを避けるため、健康診断をしておきましょう。健康状態を確認しておいた方が安心です。金がない時に、一番心配なのは、健康のことです。
危機管理の一歩として、まずは、自分自身の健康状態の確認を・・・。
ヒマな間に、少しでも、不安要素を解消しておきましょう。
倒産後の人生を生き抜くためには、これくらいの用心深さは必要かと・・・。
金がなくても、再起はできますが、健康なしでは再起も、おぼつきません。

4、自宅と会社の掃除を
倒産の2ヶ月後の頃から、会社や自宅の掃除にかかりました。
自宅は、妻と長男、長女、次女の4人での掃除です。会社は私と残務整理に残ってくれた専務で。「逃げない」と意思決定決していましたから、自宅や会社の掃除は当然のことだと思っていました。まもなく競売になる自宅や事務所を掃除する必要は無い様なものですが、掃除して良かったと思います。
武士が戦いに敗れて、城を明け渡す時のような心境でした。
戦いに敗れた時や移封された時に、城を掃き清めてから引き渡すように。
家族の思い出がいっぱい詰まった自宅の引渡しは、つらい作業でした。
振り返ると、あの時の掃除が、こころの掃除になりました。過去の未練を断ち切る掃除になったのです。会社の明け渡しの掃除よりも、自宅の明け渡しの掃除のほうが、涙が流れました。

5、どん底の確認
事業に失敗したり、失業したり、事故や地震等の災難に遭遇すると、「まさかの坂」を転落し、人生の行方が見えなくなります。どこまでも、坂道をころがり落ちるような不安感に駆られます。このまま、奈落の底まで転がり落ちるのではないかと。倒産で「まさかの坂」を転げ落ちました。仕事もありませんでしたし、飢えるのではないか、との不安が付き纏っていました。
こころが崩壊して、真っ暗闇の底にうずくまってしまいました。しかし、どん底にも、「底」があることを知りました。「まさかの坂」の下り坂の向こうには、これ以上は、下がらない着地点があるのです。着地点を確認できたら、「シメタ」もの。その場所が、出発点になります。これ以上は下がり様がありません。着地点の谷底で、ひと休みしましょう。生きる希望が湧いてくるまで。

6、嵐の中でも時は経つ
悲しい時も苦しい時も時間は過ぎていきます。
全てを失った人にも、幸福な人と同じ太陽が東から昇り、同じ太陽が西に沈んでいきます。
朝が来て、昼になり、夕日が沈み、静寂な夜がきます。
一日が終わったら、布団に入り、目を瞑りながら、一日の無事に感謝したらどうでしょう。
「生きています」「有難うございます」と。
感謝の気持ちは、どん底の谷間に、一条の光を差し込んでくれるでしょう。
どんな突風や雨嵐も、時間が経つと終わります。
時間の経過が、失敗や挫折の悲しみを薄めるのです。
人間にとって挫折は付きもの。
挫折から立ち上がることで、挫折に対する免疫力と生きる力のたくましさが養われます。
あなたが人生の悲嘆の谷底で、のたうち回っていたら、
台風一過の澄み切った青空をイメージしながら
「嵐の中でも時は経つ」とつぶやいて下さい。こころが休まることでしょう。
終わらない、嵐もなければ、消えない悲しみもありません。
「嵐の中でも時は経つ」。シェクスピアの戯曲「マクベス」の一節から。

7、傷口の深さをしっかりと凝視しよう
どん底の谷底で、崩壊したこころの傷口を凝視していました。
傷口の大きさと深さを確認したのです。
こころがバラバラに崩れ落ちた夢ばかり見ていました。
こころの傷口がぽっかり開いて、ドクドクと血が流れていました。
こころが崩壊し、生きる希望が見出せませんでした。
「こころには形があります」こころは夢と希望を失うと崩壊します。
形があるから崩壊するのです。
「こころが崩壊する」現実を倒産体験で知りました。 

倒産してまもない、初冬の晴れた朝のこと。
新雪の積もった道を散歩していました。
農家の庭先には、熟柿がたわわに、実を付けていました。道路にはみ出した枝から、幾つかの実が落ちて、積もった新雪に、飛び散っていました。
破れた殻から、柿の実が白い雪に点々と血のように散らばり、実はべしゃりと潰れていました。倒産直後の経営者の心象風景のように。
家族が励まそうが、友人は激励しようが、自己実現の喪失体験は簡単には復活しません。まずは、傷口の大きさを凝視しましょう。病根の深さと傷口の大きさの確認。時間をかけ、丁寧に傷口を修復していきましょう。慌てて、バタツクと、傷口が破れますよ。

8、うつ病にならないように
うつ病にならないように、最大の注意を払って下さい。
うつ病は怖い病気です。自殺の誘引になります。うつ病は、やる気と生きる希望を削いでしまいます。会社や自宅や仕事を失って、意気消沈をしない人はいませんから、うつ状態やうつ病になるのは、当然だと思いますが、早めに、神経内科や精神科医の治療を受け、こころの落ち込みを最小限にとどめましょう。
私はうつ病を2回体験しました。体からエネルギーが抜け落ちました。夏枯れのダムのように、こころのダムの水が枯渇したのです。頑張り過ぎて、エネルギーを放出し過ぎたからでしょう。時間をかけて満水になるのを待たなければなりませんでした。
うつ病対策の一端は、
専門医の治療を受けること。自分を必要以上に追い詰めないこと。自宅の一室に閉じこもらないこと。朝の散歩で太陽の光を浴びること。山や公園を散策しての森林浴を楽しむこと。小さな幸せを探すこと。気分転換をすること。うつ病のままでコンサートに出かけること。こころのダムを笑いで満たすこと。いい加減に生きること。等など。
2回の体験でうつ病への接し方も知りました。
治ってしまうと、うつ病も懐かしい病気です。

9、こころの変化をメモに書こう
30代の前半から、3年ビジネス日記を愛用しています。3年日記は、一年毎の日記と違って、書く欄も小さく負担になりません。何よりも便利なのは、同じ日の縦の欄に3年分の行事や経営上の課題を記載することができ、一冊の日記で3年分の思考の変化が時系列に一目瞭然です。倒産のどん底から、再起するための道具として、3年ビジネス日記を活用しました。会社の経営計画を策定するように。
倒産の翌年の元旦(2001年1月1日)の欄には
パソコン教室で勉強開始する。
就職行動を開始する。
と書かれています。前向きに行動を開始しました。
正月過ぎから落ち込みひどくなり、自殺の衝動がチラついて来ました。
朝に起きてから出かける所がありません。やることがなく、こころと体のリズムが狂い始めました。倒産の翌年2月は精神状態のどん底でした。
2月6日の記載。
過去の思い出が、顔を出して、切なくなる時がある。と書いて、対策を書いています。どんな時に切なくなるかと。→(矢印)は気持ちの持ち方(対策)です。
1、 急にくる→生きている証拠。日薬(時間の経過)を塗っておくと来年の今頃は楽しい自分になっている。
2、 弱気になった時→静かに、少しづつ前向きに生きていると解消する。
3、 不安になった時→あなたが考えている未来への不安は99%まであたらない(オショー・ラジニーシの言葉)
日記に状況の変化を記載して、自己観察したのです。時間の経過と共に、生きる希望が蘇ってきました。こころが安定するまで3年、完全に生きる勇気が回復するまでは、5年の歳月を費やしました。

10、経営者から個人に戻る作業
会社を経営していた当時は、細かいことは、社員に任せて、日常業務の大半が、お客様周りや銀行折衝、新規事業の組み立て、会合等の対外活動でした。
20代後半から管理職でしたから、経営には習熟しましたが、細かいことは何も出来ない、潰しのきかない人間になっていました。
倒産直後のこと。弁護士に、債権者の確認表を送るように、と言われました。長女から渡された一枚の紙を、近くのコンビニから送ろうとしたのです。
ところが、紙のサイズの方向を間違えたり、裏表の置き方を間違えたり、ボタンの押し方が解かりません。ファックス一枚の送付に30分も掛かりました。コンビニから出てから、涙が零れそうになりました。一人では何も出来ないことを思い知らされたのです。これからの人生が急に不安になりました。
倒産は、大勢の関係者に囲まれていた社長の立場から、自分で何でもやらなければいけない、いち個人の立場に戻る作業です。
「多」から「個」に切り替える作業です。
社長時代の「ワガママ」が通用する習慣を切り捨てなければなりません。
過去の人生と決別しなければ、新しい人生をスタートすることは出来ないのです。失ったものと、残ったものの峻別を・・・・・・。
経営者時代のプライド、名誉、社会的地位、財産等を切って、切って、切って捨てると、人生にとって必要な最小限のものだけが残ります。残ったものが、新しい人生をスタートする時のシーズ(種)になります。

コメント
「どん底での過ごし方」の章は、殆どが私の倒産体験記です。当時の3年ビジネス日記をめくって、こころの変化を抜粋しました。
この章を書いているうちに、倒産の日の情景を鮮明に思い出しました。
2000年10月2日、深夜2時に、暗闇を手探りして、会社の玄関のガラス戸の内側に弁護士に渡された、破産の紙片を張ったときの情景です。丁度今頃のことでした。
紙を張り終わった瞬間「これで俺の人生は全て終わった」と思いました。
秋の冷たい風がこころの中を吹き抜けました。
あの日から、10年目。完全に「生きる希望と勇気」が蘇りました。
うつ病、財産の喪失、幻覚、幻聴、フラッシュバック、自殺の衝動、無職、幾つもの災難を体験しました。倒産地獄から抜け出すのは、容易ではありませんでした。
どん底から這い上がって「人間は強いものだ」「人間は素晴らしいものだ」という人生の価値観を得ました。人は金を失ったくらいでは、簡単には自殺はしません。夢や生きる希望を失うと死に追い込まれることも知ったのです。
経営者として、社会的評価を受けて生きるのも人生。全てを失って図書館で本を読んでいるのも人生。人生の幸せは他人の評価にあるのではありません。自分のこころの中だけに存在するのです。他人の批判、誹謗に耐えて、静かに笑っているのも、なかなかの趣がありました。1万円の会食よりも、130円の発泡酒の旨さを知っただけでも、人生至上の幸福を知ったことになるでしょう。
「死にたくなるのは、生きている証拠です」
人間にとっては、死にたくなる時があるのは、当たり前の感情です。
死にたいまま、生きていたら、いつしか死にたくない自分に変わっていました。
次は「生きる希望と勇気」の章を書きます。どん底から這い上がった体験と2000回の相談現場で観察した人間の逞しさを「生きる希望と勇気」の章にこころをこめて書き上げます。
希望の組み立てと勇気を湧かせる実践的思考方法について。
次回からは、纏めて文章を掲載するのではなく、1項、2項と書き次第に、ホームページに掲載していきます。10〜15項位の文章になるでしょう。



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